マイナー武将列伝・織田家中編  

 
 
 
 佐々孫介 
 さっさ (ささ) まごすけ 
 生没年  (一説に1526?)〜1556   主君・所属   織田信長 
主な活躍の場  小豆坂の七本槍・稲生原の戦い 
   
 孫助とも。成経とする文献もあるようである。
 佐々盛政の子。
 
 同じく小豆坂の七本槍の一人佐々隼人正政次の弟、のち織田信長家臣の重鎮の一人となる佐々成政の兄。
 佐々氏は佐々木の一族という。
 平の城(尾張春日井郡比良村)を本拠地とする。
 もとは尾張上半国の守護代に属していたという。
 
 弘治二年(1556)織田信長の弟信勝(信行)は反旗を翻した。
    織田信勝方は春日井・守山を侵略し清洲近くにまで迫るほどであった。
 その防波堤として清洲城の東、庄内川の対岸側に築かれたのが名塚砦である。
 ところが連日大雨が降り庄内川が氾濫、清洲城と佐々衆らが詰める名塚砦は分断されてしまう。
 信行勢は名塚砦近くの稲生原に陣を取っており、戦が長引けばますます名塚砦は孤立し戦況は不利となる。
 信長は悪天候にもかかわらず陣触れを出した。
 信長勢はひとまず平の城に集結、佐々孫介の先導で名塚砦へ向かった。
 佐々孫介は土地勘を生かし川の浅いところを巧みに案内し一行は無事渡河できたという。
 戦は信長方の勝利に終わったが、佐々孫介は織田信勝方の柴田勝家の本陣を攻める際に600人からなる伏兵に遭い討死してしまった。 
 
 
 
  補足   
 * 小豆坂の七本槍
      天文十一年(1542)、岡崎の小豆坂における戦い。信長記外伝8巻「父・信秀」参照
 * 稲生原の戦い
      弘治二年(1556)信長に反旗を翻した弟信行を支援する林美作守・柴田勝家らとの戦い。
       信長記外伝4巻「信長咆吼」参照
 * 兄 佐々政次 
      武将列伝・佐々政次参照
 * 子は不明。 後、織田信雄・羽柴秀吉の麾下に佐々孫助なる者がいたらしいから、
      彼の子若しくは孫かもしれない。(未確認)

 
   孫介は一説に成政の弟ともいわれています。(『武功夜話』)
   成政の生年が1536年説、1516年説と幾つかありますし、
   孫助の生年1526年自体も確実な説ではありません。
   本編では私自身の判断で孫助は兄であることを採用しています。
   あしからず。

 
 
 
 

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