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隼人正。下野守。
佐々盛政の子。
同じく小豆坂の七本槍の一人佐々孫助、のち織田信長家臣の重鎮の一人となる佐々成政の兄。
佐々氏は佐々木の一族という。
平の城(尾張春日井郡比良村)を本拠地とする。
もとは尾張上半国の守護代に属していたという。
永禄三年(1560)桶狭間の戦いにて千秋四郎季忠とともに鳴海方面を攻め大敗討死している。
鳴海攻めは300人の将兵で今川方の先鋒隊を襲撃したものである。
この作戦は失敗に終わったが、これは桶狭間へ侵攻する織田の奇襲本隊の動きを察知されない為の陽動作戦であるとみる説と、佐々政次・千秋季忠両名の抜け駆けであるみる説とがある。
尚、この出撃に際して佐々政次が
それがしが命を捨ててかかれば、今日の合戦にはかならず勝つことが出来るでしょう。
われわれは、先に今川方の旗本へ乱入いたします。
殿は脇槍に向かわれ、鉄砲も弓も捨てて、ただただ一途に義元に打ちかかられるが
よろしいでしょう。」
と、信長に言ったとも伝わる。
(『旧参謀本部 桶狭間の役』道家祖看記より)
やはり政次自らが陽動を志願したのか。
どちらにせよ佐々政次・千秋季忠両名は討死してしまった。
そしてこの報を聞いた信長の心情はいかなるものかは定かではないが、敵将今川義元は
「義元が戈先には天魔鬼神も忍べからず。 心地はよし。」
と、喜んだという。
鷲津・丸根砦の陥落に続く朗報に義元が一段と油断した結果となった訳であるから、
佐々・千秋両将の死も無駄死にではなっかった。
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