マイナー武将列伝・織田家中編 




 岡田重善 
 おかだ しげよし 
 生没年   1527〜1583   主君・所属   織田信秀・信長・信雄 
主な活躍の場  小豆坂の七本槍 
   助右衛門。重善。重能。直教。
 岡田氏は源平合戦・南北朝の動乱を生き抜いた名古屋土着の山田氏の末裔である。
 父は重頼。小幡城を築く。
 
 織田と松平・今川連合軍が激突した小豆坂で功名を得た七人の武将(小豆坂の七本槍)の一人に数えられる猛将である。
 また織田信長の初陣である三州吉良の大濱出兵にも従う。  以後、35年間信長に従い転戦。
 一番槍を4度あわせたと伝えられる。
 
 治承年間(1177〜1181)、星崎に城を築き移る。
 本能寺の変以後は織田信雄に仕え一万五千石を食むが天正十一年(1583)死去。
 織田家の分裂が激化する頃にこの世を去り、信長の子供達が相克し落ちぶれていく姿を見ることは無かった。
 そこには自分の息子岡田重孝が謀殺されるという悲劇も加わるが信長恩顧の将は草場の陰で複雑な面もちであったであろう。
 
 
  補足   
 子は岡田重孝(信雄に仕えるが逆臣の汚名を着せられ謀殺される)。
    岡田善同(善長・将監)。・・・重善、重孝に継ぎ星崎城主となる。
       加藤清正に仕え関が原の戦で功。
       美濃に7000石を領し、名古屋城築城の際、普請奉行を勤めた。
    山口半左衛門重勝の妻。
       岡田善同は山口重勝に星崎城を譲っている。
 
 『揖斐郡志』において元和二年の項に岡田将監代官、2992石との記載があった。
 また同書にて、元和・正保年間に於いて天領、尾張藩領であった村が元禄期に領主岡田将監と記されている。
 岡田善同の子孫であろう。
 
 
 *  小豆坂の七本槍 −−− 天文十一年(1542)、岡崎の小豆坂における戦い。
     信長記外伝8巻「父・信秀」参照
 
  



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