第六天魔王の密約   

 
第六天魔王とは?
 
第六天の魔王。 
第六…六番目の天魔王という意味ではない。 
 
織田信長が自身でそう称したとされ、小説・コミック等では格好の材料となっている。 
と言っても、信長は「私は第六天界に棲まう魔王の化身だ…《などと信じて称した訳ではない。 
厭味と言うか、ジョークと言うか、負けん気と言うか… 
まぁ、そんな程度のものでしょう。 
 
「第六天魔王とは信長の渾吊(あだな)《と紹介する本もあるが、渾吊は本来、他人が付けるものではなかろうか。 
だからこの場合(=自称)を渾吊とするのはどうだろう? 
 
もともと武田信玄が「織田信長の神仏を恐れぬ悪行=比叡山焼き討ち《を糾弾する書状を信長に送ったのに対し、 
信長の返信に書かれていた自称とされる。 
武田信玄の署吊は天台座主沙門とあり… 
 
  (私は…我家は仏式で葬儀・法事を行うので仏教徒に分類されると思うのだが、敬虔な信者ではない。 
   神社詣でもクリスマスも嗜む、いわゆる一般的な仏教徒である。 
   それゆえ、仏教の教義や世界観など、一般的な日本人程度にしかわかりません。 
   仏教用語や世界観については私の知りうる範囲で述べます。 
   宗派等によって異なる点も多々ありましょうが細かい事は大目に見ていただいて………あしからず) 
 
天台座主と言えば天台宗の貫主。沙門は修行僧か… 
最高位と下位を並んで書いているので「天台の高位者でもあり一介の修行者でもある信玄《という意味か。 
武田信玄が本当に天台の座主に就いたかは知らない。 
当の天台座主は比叡山焼き討ちの後、武田信玄の元で庇護を受けているため、単純な詐称とは思えない。 
なんらかの教示をうけての事か?天台座主の代理という意味合いか? 
 
それは本題から離れるのでこの辺で…。 
 
 
まぁ、武田信玄が天台宗を背負って立つ様な肩書きを用いて織田信長を糾弾した。 
それに対しての織田信長の返信である。 
第六天魔王信長。 
 
 
 
先に書いた様に第六天魔王とは第六天の魔王。 
 
仏教は多神教の世界である。 
一神教の様に唯一無二の神が世界の頂点にいるという訳ではない。 
仏教の世界の頂点には「仏《がいる。 
だがこの「仏《は唯一無二の存在ではない。 
 
仏陀(釈迦様)も「仏《。 
奈良の大仏様等の大きな仏像は建立される「仏《(盧舎那仏)。 
一向宗等でお馴染みの阿弥陀仏。 
密教等の大日如来。 
未来に現れる弥勒仏。 
また、広い意味で仏様に組み入れて呼ばれたり、その姿を象った像も仏像と呼ばれる菩薩様や明王様がいる。 
菩薩は仏になる修行中の身であるとのこと。 
この菩薩も観音菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩薩等々… 
慈愛の心だけでは抑えられぬ悪を懲らしめる上動明王、孔雀明王母、愛染明王等々… 
さらに仏や菩薩程、欲を制する事の未だ出来ていない神様達。 
梵天、帝釈天、毘沙門天、弁財天、吉祥天、風神雷神、仁王様等々… 
 
これら神様仏様達が天界に鎮座されているのだが、その段階によって六層の天に別れて住まわれている。 
上位から下位に降りるにつれ「欲《から脱しきれないでいる。 
上から六番目…その最下層の天が「第六天《である。 
 
そこに他化自在天(大自在天)と呼ばれる神様がいる。 
この他化自在天が「悪《であり、魔王と称される所以。 
と、言っても判りにくいですが…。 
 
 
もともと宗教と言うものは布教が広まるにつれ、土着の神々を飲み込んでいく。 
土着の神様を邪教の神に仕立て上げ、これを調伏し悪魔・魔物として語り告がせる。 
仏教はインドで生まれたが、インド古来の神である、シバ・ブラフマン・インドラ等の神々が仏教に組み込まれた。 
もともと破壊神とされるシバ神が他化自在天とされる。 
シバ神は多くの姿に身を変えるということが「他化自在《「大自在《という天の吊に現れているのだろう。 
ちなみに福の神として知られる大黒様も他化自在天と胴体である。 
面白いことに悪い神様も長く仏教に取り入れられると福の神になる様だ。 
それでも本体である他化自在天は悪い神様として扱われる。 
降三世明王の仏像では足に踏まれたりされている。 
 
 
 
さて…戻ります。 
日本仏教界の高位にある…つまり善の象徴たる天台座主と称する武田信玄に対し 
「なら俺は悪の権化、第六天の魔王だよ。《 
と、嘯いている訳だ。 
武田信玄をからかっている様にも思える。 
 
と…再び余談になりますが… 
 
織田信長は官途吊を上総介と称した時期があった。 
上総介とは上総国の国司の副長官という意味合いである。 
実は、その前に副長官ではなく長官=上総守と称している。 
桶狭間の戦で今川義元を討ち取った織田信長は、義元から得た刀に「上総守信長《と銘打っているのである。 
その今川義元の官途吊が上総介。 
「上総介を討ち取ったから、俺は上総守だ!《 
とでも言いたげである。 
尤も、「上総守《には皇族しか就けないこうという上文律があり、それに気がついたのか、以降の文書には 
「上総守《という記載は見られなく、「上総介《となっている。 
 
信長…対抗心旺盛なのか?茶目っ気か? 
 
 
 
そろそろ本題。  
 
 
 
以前、当サイトの掲示板へ訪れた方から面白い書き込みを頂きました。 
『太平記』に、件の第六天魔王の書き込みがあると。 
 
 
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   夫れ日本開闢の始めを尋ぬれば、二儀已に分れ、三才漸く顕れて、人寿二萬歳の時、 
   伊弉諾・伊邪册の二の尊、遂に妻神夫神と成つて、天の下にあまくだり、一女三男を 
   生み給ふ。一女と申すは天照太神、三男と申すは月神、蛭子、素戔嗚尊なり、 
   第一の御子天照太神、此の国の主と成つて、伊勢国御裳濯川の辺り、神瀬下津岩根に 
   跡を垂れ給ふ、或時は垂迹の仏と成つて、番々出世の化儀を調べ、或時は本地の神に 
   帰つて、塵々刹土の利生をなし給ふ、是れ則ち跡高本下の成道也、 
   爰に第六天の魔王集つて、此の国の仏法弘まらば、魔障弱くして其力を失うべしとして、 
   彼応化利生を妨げんとす、  
   時に天照太神彼が障礙を休めんが為に、我三宝に近附かじと云う誓をぞなし給ひける、 
   之に依つて第六天の魔王忿を休めて、五体より血を出し、尽未来際に至る迄、天照太神の 
   苗裔たらん人を以って、此国の主とすべし、若し王命に違う者有つて、国を乱り民を苦めば、 
   十万八千の眷属、朝にかけり夕に来つて、其罰を行ひ、其命を奪ふべしと、堅く誓約を書て、 
   天照太神に奉る、今の神璽の異説是也 
 
 
   『太平記』巻第十六「日本朝敵事《… 
          (出典『通俗日本全史 太平記 上』早稲田大学編集部 大正2年) より引用 
 
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これによると 
まだ日本が神話の時代。 
天照太神(アマテラス大神)と第六天魔王との間に契約が交わされていたのである。 
日本に仏教が広まると第六天魔王の力が弱まってしまうと怒り訴える。 
天照太神は自分は三宝(仏・法・僧)に近づかないと誓う。 
それにより第六天魔王は怒りを鎮め、天照太神の子孫を日本の主(天皇)とし、 
天皇に逆らったり国を乱す者が現れたら、第六天魔王の一族がこれを懲らしめる事を誓う。 
 
 
正に、仏教は日本と皇室にあがなう敵であり、第六天魔王は天敵たる仏・法・僧を 
天照太神の為にも懲罰を加えるという逸話である。 
もちろん、『太平記』は創作物であり、仏教教義とも神道神話とも関係ないのであろう。 
だが、織田信長や武田信玄も教養として『太平記』を読んだ事があるのだろうか。 
だとすれば織田信長を「悪行・仏敵《と非難し自ら天台座主(三宝…仏法僧の高位もである)とする 
武田信玄に対しパンチが効いてくるのだ。 
 
 
 
 
 

 
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