第 1 巻

守山城

   
 所在地:名古屋市守山区守山    現在:宝勝寺の裏手
 守山城はいくつかの事件の舞台となっている。
 守山という地名は、現在も残り守山村−守山町−守山市−名古屋市守山区と、受け継がれている。
 だが、ここにあげる守山城は、さほど有名ではなく、今は城跡を訪れる人はほとんどいない・・・。
 

 
 

守山崩れ

   
 天文四年(1535)一二月、三河の松平清康は大挙して尾張に兵を進めた。
 この松平清康とはかの徳川家康の祖父であり、この時松平氏の絶頂期。
 尾張は織田信長の父信秀が台頭。 さらにこの前年(吉法師)信長が誕生している。
 さて、清康は尾張に進入。岩作城(長久手町)、品野城(瀬戸市)を撃破、守山へ迫った。
 この時守山城を守るのは織田孫三郎信光(信秀の弟つまり信長の叔父)。
 だが、信光は一戦も交えることなく退却。守山城は清康に占拠される。
 
 ここで、事件が起きる。
 守山城に入った翌朝、一頭の馬が暴れだし大騒ぎとなった。
 清康の家臣に阿部大蔵定吉という者がおり、かねてより清康に逆心を抱いているとの噂があった。
 この定吉の息子弥七郎が、この騒ぎは噂を信じた清康が父定吉を成敗したためだと早合点。
 弥七郎は父の敵と、清康を一刀両断のもと斬り殺してしまうのである。
 松平氏の絶頂期はここで終わり、以降桶狭間の合戦後信長と家康の盟約ができるまで苦難の時代が続くのである。
 これを、世に「守山崩れ」という。
 

 
 

織田彦五郎殿 孫三郎殿生害

   
 さて、 主を失った松平軍は撤退し、織田信光は再び守山城の城主に帰り咲く。
 織田弾正忠信秀とその一族(信秀の弟・与二郎信康、孫三郎信光、四郎二郎信実、孫十郎信次ら)は、 尾張国内の主導権を握るべくその領地を増やしていった。
 このころ、尾張国の守護たる斯波気は没落。
 名ばかりの守護職であり、守護を補佐するべく守護代織田氏も南北に別れ主権争いをしていた。
 この守護代織田家とは岩倉城主(織田伊勢守系)と清洲城主(織田大和守系)であり、 実は弾正忠信秀はそのまた下の三奉行の一人にすぎなかったのである。
 守護代織田二家から主家・宗家を凌駕するに至った弾正忠家を疎んじるようになった頃、 信長はこの織田弾正忠家の家督を相続したのである。
 清洲城主織田彦五郎信友は信光を調略し信長排斥を企てた。
 信光はそれに応じ、盟約のため清洲城を訪れる。
 だが、かねてより信長と信光との間で調略を逆手に清洲城乗っ取り計画が進められており、  信光は兵をひきいて清洲城を占拠し、また信友に詰め寄り切腹を迫ったのである。
 ここに、織田守護代の一方大和守家は消滅し、信長は尾張半国を手に入れるのである。
 
 信長は那古屋城を信光に譲り、自らは清洲城に移った。
 信光は守山城から那古屋城に居城を変えたが、その7ヶ月後、家臣坂井孫八郎によって殺されてしまう。
 この信光の暗殺事件の真相はどうも不鮮明で、信長が裏で手を引いていたと言う説もある。
 

 
 

織田喜六郎殿事御生害

   
 信光が那古屋城に移った後、守山城主となったのは信光の弟・信次である。
 だが、その直後に起こった事件によりこの城主は失踪する。
 信次が領内の松川の渡し(庄内川、現松川橋あたりか)で川狩りをしていると、  一人の若武者が馬に乗ったまま通り過ぎようとする。
 領主の前を騎乗のまま通り過ごすとは無礼な。 と、家臣の洲賀才蔵が矢を放つと  矢は騎上の若武者にささり、若武者は死んでしまう。
 その若武者の顔を確認して驚いたのは信次である。
 若武者は甥・織田喜六郎秀孝、つまり信秀の八男であり、信長の同腹の弟であったのだ。
 信次は、信長の怒りを恐れるあまり、その場から出奔したという。
  *信長には庶兄1人(2人説あり)と10人の弟がいるが、同腹は三男勘十郎信行とこの喜六郎である。
 
 この知らせを聞き、信長・信行はそれぞれの居城から駆けつけた。
 まず、信行が先に着き町に火をつけ城をはだかにしてしまった。
 信長が駆けつけた時には町はことごとく焼かれてしまった後であった。
 信長は「我々の弟たるものが従者も付けず一人駆けをしていたのだから」と秀孝の落ち度を指摘し、 それ以上追求せず清洲へ引き上げた。
 
 信次もその後許されている。
 城主無きあとには信長の弟・喜蔵信時がはいった。
 この信時も約 1年家臣角田新五の謀反にあって自害してしまう。
 信時のあとには赦免された信次が再び守山城主となる。
 それから信次は信長と共に転戦を重ねるが、天正二年(1574)伊勢長島の一向一揆攻めの際、討死した。
 
 その後、守山城に関する文献は途絶える。
 守山城は主無きまま廃城となり、その歴史に幕を閉じた。
 
 かように、守山城は短期間で主を転々と変えてきた。
 それも身内や家臣によって殺されたり、身内や家臣が原因であったり・・・
 

 
 

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