信 長 の 子 供 達 




 織田信秀 
  おだ のぶひで 
 生没年   15??〜159?   信長の六男 
幼名・別名・官職 幼名=大洞。三吉、三吉郎、浦坊、侍従。  生母  
 
 本能寺の変の頃は、まだ元服前だったのか。
 美濃揖斐に所領あり。
 天正十三年(1584)叙任を受け従四位侍従となり、羽柴三吉侍従と呼ばれた。
 羽柴姓を賜ったということか。
 この男も秀吉の家臣の扱いか。
 文禄の役に際して「御うしろそなへ」衆として参陣、名護屋城に駐屯した。
 この時、象牙のロザリオを首にかけていたそうだ。
 クリスチャンであったのだろう。
 文禄年間に癩病のため京都で没す。
 正確な生没年月は不明である。
 覇王の実子であるにもかかわらず・・・)
 
  末裔   
 二男一女あり。
 嫡男重治は遺領を相続せず。 二男は僧侶となるが修行中盗賊に襲われ死す。
 信長の末裔で最も不遇な末路をたどったのがこの信秀の一家か。




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