マイナー武将列伝・織田家中編 




 前田長種 
 まえだ  
 生没年   1550〜1631   主君・所属   前田利家 
主な活躍の場  前田城主 
 
 
 与十郎。甚七郎。対馬守 。
 家系等の詳細は前田種定の項を参照してください。
 
 天正十九年()、前田種定の子として生まれる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
利家とまつの最初の子供、長女・幸の結婚相手、いわば利家の娘婿。長種の父は信長に仕え、利家が生まれた荒子に程近い蟹江城主。長じて、長種は尾張前田城主となる。  1584年、小牧長久手の戦で、秀吉方についたが、織田信雄軍の攻撃を受けて前田城を開城、加賀を訪ねて利家に仕える。七尾城将、ついで越中守山、富山、加賀小松城代を務め、1601年、従5位下対馬守に。石高は、2万石。   越中守山時代に、利家の側室の子供でのちの加賀藩三代藩主となる利常を預かって養育係となる。利家は、死ぬ前年の1598年に越中を訪ねて、初めて利常とまみえたとされる。1631年、死去。  
前田城      前田西町一丁目の速念寺境内にある。 前田与十郎種定が城主であった。蟹江合戦の時息子の長種と共に戦ったが種定は徳川軍の前に敗れ去った。  
 
  補足     
  <<参考>>
  『信長公記』『寛政重修系図諸家譜』『尾張群書系図部集』『織田信長家臣人名事典』
  (書籍詳細省略。参考文献の項をご覧ください。) 

 
 
 

前田長種・辰巳琢郎
利家とまつの最初の子供、長女・幸の結婚相手、いわば利家の娘婿。長種の父は信長に仕え、利家が生まれた荒子に程近い蟹江城主。長じて、長種は尾張前田城主となる。
 1584年、小牧長久手の戦で、秀吉方についたが、織田信雄軍の攻撃を受けて前田城を開城、加賀を訪ねて利家に仕える。七尾城将、ついで越中守山、富山、加賀小松城代を務め、1601年、従5位下対馬守に。石高は、2万石。
  越中守山時代に、利家の側室の子供でのちの加賀藩三代藩主となる利常を預かって養育係となる。利家は、死ぬ前年の1598年に越中を訪ねて、初めて利常とまみえたとされる。1631年、死去。
蟹江城---天正12年6月の合戦に敗軍し城主前田与十郎討たれし後廃城、民居となる。(愛知國誌)
城主佐久間正勝に留守役、与十郎は滝川一益に通じており?
与十郎は蟹江に入り家康が囲む
滝川一益は与十郎の首をはね降伏。

下一色城---天正12年6月の合戦・・・長種が守っていたが降伏して美濃に逃げ、種利と定種は斬られた。家康が廃城とした
前田城---天文13年、荒子城へ移転の為、廃城。
東起城---天正12年6月の合戦・・・前田三郎四郎和春が蟹江の出城・下市場砦で戦死(加賀百万石記録---あいち城)
蟹江城---蟹江の七本槍でも知られる  vs松平
 
 
前田与十郎種利---前田与十郎定種---前田与十郎長種
 
---前田与平次利種



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