マイナー武将列伝・織田家中編 




 坂井久蔵 
 さかい きゅうぞう 
 生没年   1555〜1570   主君・所属   織田信長・坂井政尚 
主な活躍の場  姉川の戦 
 
 
 尚恒。
 坂井政尚の長男。
 坂井政尚は京近辺の政務を主に担当していた武将である。
 もちろん政務ばかりでもなく、いくつかの功績もあるがここでは割愛。
 
 久蔵は観音寺・箕作・和田山攻めにも従軍、戦功あげた。
 美童と言われ信長の寵愛をも受けていたようだ。
 小姓でもあった。
 
 元亀元年(1570)六月、姉川の戦い。
 久蔵は父政尚とともにあった。
 政尚の隊は第一陣。兵力約三千。
 この政尚の陣に浅井先鋒磯野員昌が襲いかかる。
 政尚は防ぎきれず後退する。
 この時、久蔵は退かず奮戦。
 (誰の手によるものか記録は見あたらず)戦死してしまう。
 久蔵は十六歳であった。
 
 若年ながらも屈強の勇士であり、美形でもあったから皆、彼の死を惜しんだ。  戦が終わった後、彼の戦死した場所の土を持って帰るものが現れ、皆それに続いたという。  その為、そこに大きな穴が開けられてしまった程である。
 
 姉川の戦い自体は織田・徳川連合軍の勝利に終わったことは周知の通り。 
 

  補足   
 坂井政尚はその年の十一月に堅田の戦いで戦死。
 坂井家は久蔵の弟、越中守が嗣いだ。
 越中守は本能寺の変の時、二条御所で討死した。
 



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