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お市。市姫。小谷の方。お市御寮人。
織田信秀の娘で信長の妹にあたる。
一説に天文十六年(1547)生まれ。
妹ではなく姉・義妹・従妹であるという説もある。
はじめ浅井長政、後柴田勝家に嫁いだ。
絶世の美女であったという。
兄・信長の命で近江の浅井長政に嫁す。
これにより、信長が将軍足利義昭を奉じて上京する為の織田浅井の同盟がなされる。
万福丸、茶々(淀君)、お初(京極高次室)、お江(徳川秀忠室)の四人を産む。
だが、信長が越前の朝倉を攻めたことにより織田・浅井の同盟は決裂。
兄と夫が対立する敵同志となってしまう。
浅井が織田軍の背後を付き朝倉と挟み撃ちにするように出陣したことを、お市の方が陣中見舞いに小豆を送ったことに
よって、信長に知らせたという逸話がある。
小豆を入れた袋の上下を縛って送った。
これを見た信長は上下・・・つまり朝倉を攻める背後から浅井が攻めてくる。
浅井の裏切りによって挟み撃ちにあうという事を悟って退却したという話である。
が、どうも出来過ぎのように思える。創作であろう。
肉親と夫が敵同志となることはこの時代頻繁にあったことである。
婚姻自体が政略・策略に用いられていたことであるから当然の結果ともいえる。
もちろん、その中に巻き込まれた当事者の気持ちは推し量ることが出来ない。
信長は浅井長政が裏切るとは思ってもいなかったに違いない。
浅井-朝倉の盟友関係の事も熟知していたには違いない。
だが、それは過去の事。
浅井先代・先々代の盟約であり、時代は流れ情勢は確実に変わってきている。
家格や権威に拠って結ばれてきた過去の体制はもう打ち破るべきだ。
現実の今の情勢を見て行動しなければ戦国の世は生き抜けない。
浅井長政もそれを理解していると信じていたのであろう。
やがて浅井家は滅ぶ。
3人の娘は助けられるが、嫡男万福丸は処刑される。
お市にとって兄・信長はこの時より仇ともなってしまった。
本能寺の変、清洲会議の後、柴田勝家のもとへ嫁ぐ。
3人の娘と共に勝家の居城越前北庄に住んだ。
しかしそれもつかの間。
今度は勝家と羽柴秀吉が対立。
北庄城を攻めたてられ勝家と共に自決した。
盟友であった男たち、同輩であった男たちがそれぞれ争い、その波に翻弄された。
もう、これ以上同じ思いをしたくはなかったのであろう。
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